Only So Much Oil In The Ground
今年初旬、もうサイズが入らなくなった衣服をはじめ、
およそ1キロリットルぶんぐらいの物質を廃棄していた際、
おそらく2012年ごろに買った中古レコードの袋が出てきました。
この中古レコード屋さんは、札幌狸小路のメイド喫茶と同じフロアにあり、
当時、メイド喫茶の15:00の開店前に、知人と立ち寄った日に買ったレコードのはず。
袋の中身は、David Sanbornのアルバムと、Tom Scottのアルバムでした。
どうしてこれらを選んだのかまるで記憶にないんですが、
誰の影響でもなく、私自身が選んだのは確かだと思います。
そしてすっかり忘れ去られていた。
2012年当時にしては珍しい選択だと、我ながら思いました。それはなぜかというと、
その頃は僕にとって、音楽やその他もろもろに、
他者とのコミュニケーションツールとしての性能が重視されていたから。
自分のために選ぶというより、誰かとお話をするために商品を選ぶような傾向が強かったです。
それはCDでも、各種デジタルデバイスでも、雑誌でも、コンサートチケットでも、航空券でも握手券でもそうでした。
レコード屋よりも奥にあるメイド喫茶で、いつもの従業員さんやお客さんと、
さまざまな物語が共有されていた。
2010年代前半のいわゆる「アイドル戦国時代」とは、
その場所で共有されるために、非常に適したコンテンツだったんじゃないでしょうか。
AKB48やSKE48に始まり、より汎用性が高い物語の数々に、我々の関心は移っていきました。
でんぱ組.incなどは、秋葉原の飲食店から出てきたグループですから、
我々の空間の先に想像を描きやすい存在だった。いろいろな人が集まってきました。
そこから5年ぐらいの年月が過ぎ………。
レコードに針を落とし、
マーカス・ミラー作曲「Run for Cover」が流れてきたとき、ちょっと不思議な感覚がしました。
昔ってほど昔じゃないけども、過去の自分が、
いつか必要になるものを選曲してくれたみたいな感覚がありましたね。
http://www.youtube.com/watch?v=DO_pl-L5vnY
この1年ぐらいで考えるようになったことなんですが、
私というリソースは有限であるということです。
かつてTower of Powerは「いつまでもあると思うな地中の原油」と歌いましたが、
有限なのは地球ばかりではなく。
年に何度も発熱して、大音量を聴けば中耳炎を起こしてライブ用耳栓必須になり、
あれだけ酒飲みだったのがお酒が飲めない体質に激変し、足腰も弱くなると、
それに気づかないわけがない。
自分の枯渇。そんなこと考えたこともなかったあの頃の状態と、
それを意識し始めてしまっている状態で、
同じ考え方や感覚でいられるかというと、そうではないでしょうね。
それがどう変わったかとか、次はどうなりますよってことは、
このレコードを見つけたときと同じように、
あとあと振り返ってみないと自分でもわからないかもしれんのですが……。
ただ、言葉にして明示したくはないけど、思っていることはあります。
あらゆることに、コミュニケーションツールとしての性能を重視していたのは、
そのときだったから出来た貴重なひとときだったのです。
楽しかった日々でした。